③こうなったのは10−0とまでは言わないけど、
夫が悪いのよね?が崩れた日。
わたしは、自分と夫に向き合うための方法を模索していました。
二人でだけだと解決できない。
誰かの力を必要としていました。
そして、「これだ!」と思って飛びついたのは、
人間関係について深く学ぶためのセミナーでした。
目が飛び出るほどの高額のセミナーで、蓄えもなかったわたしたち。
「そこまでしなくていいのでは?」と否定的な夫と、
対照的に「これに行かねばならぬ。向き合わねばならぬ」のわたし。
行く前から小競り合いをしながら、なんとかお金を工面して参加して。
自分と向き合わねばならぬ、
わたしの正しさを証明したい、という気持ちの方が大きかったんです。
だって、わたしは、
家族のために家事も子育ても
だれかがわたしを認めてくれなかったら、
なんのためにあんなに傷ついたのかわからない。
そういう気持ちでいました。
ところが、
ところが、
セミナー中にある会話がきっかけで、
わたしはさげまんの烙印を押されました。
え?
え?
なんで?
わたしあげまんじゃなかったの?
自信満々だったわたしの心は見事に打ち砕かれました。
わたしのあり方が夫を萎縮させていた。
わたしの眼鏡が彼を頼りなく映している。
わたしが感じていることは、
それが絶対なのではなく、
いろいろな経験を経て
ある一つの感じ方でしかない。
わたしが絶対ではなく、
わたしが正しいもない。
自分の正しさを認めてもらえるどころか、
頭をハンマーで殴られるような衝撃を受けました。
がーん。
がーーん。
がーーーん。
これまで、自分が「絶対」だと思っていたことが見事に打ち砕かれました。
10−0とまではいはないけど、
夫が悪くて加害者で、
わたしはいろいろなことを頑張っているのに裏切られた被害者だと思っていたけど、
その前提がちがうということ。
まず、
正しいー正しくないとか、
勝ち負けで争っている限り、
夫婦関係はそれ以上深まらないという衝撃。
そして、わたしが10−0で悪いわけでもなく、
夫婦が二人のバランスでできているなら、
すべての出来事は5−5で二人で作り上げたものだという衝撃②。
「え?それをわたしが望んだってことですか?」
「いやあ、望んでないんですけど。」
顕在意識のわたしはそう思います。
でも、心の奥の方では、
実はそうなることを望んでいたのです。
???どういうこと???
ここから先は、
自分が育ってくる過程で身につけた、
家族との関係性や、
わたしの子ども時代の話を交えながら、
話をすすめていきます。
わたしは、
「家族関係はそんなに問題がない」と感じていました。
大きな問題なら、借金でとても大変な思いをしたとか、
虐待を受けていたとか、、、
そういう状況なら分かりやすいのですが、
我が家はそれなりに普通だと思っていました。
でも、どんな家族関係においても、
大なり小なり
親の一言で傷ついたり、
親の態度で愛されていないと感じたり、
子どもってカンチガイして受け取ってしまいます。
わたしは、愛されて育ったのに、
「頑張らなければ愛されない」
「自分はしっかりしなければ愛されない」
と条件付きで愛されると勘違いしていました。
愛して受け入れてほしいのに、
強がってしまう、
弱い自分をみせれない男勝りな女の子でした。
頑張らなくても、しっかりしていなくても
「愛してほしい」
「よしよししてほしい」
と思っていた自分をずいぶん前に封印して、
愛なんかなくても平気だもん。
しっかりすればいいんだもん。
例外なく、
「二人でひとつ」という意識はなく、
「同じ家に住んでいる、個人個人」という感覚でした。
その人と、いよいよ気持ち的な距離を縮めようとした時に、
怖くなっちゃったんです。
意識できないレベルで、の話ですけど。
がんばっていないわたしは愛されない、
しっかりしていないわたしは愛されない、
「愛されない」を前提に世界を見ているので、
それを証明するために出来事を起こしてしまうのです。
夫の浮気
↓
「ほらね、やっぱりわたしは愛されない」
こういうことを知った時、
わたしは被害者ではなく、
思い込みが「出来事」を作り出しているということに衝撃を受けました。
次回予告:
ああ、受け入れたくないけど、わたしがこの状況を作ったんだ。全面降伏。
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